東京ガスのアジャイル内製化──チームに熱量が生まれる、再現性のあるプロセス

東京ガスのアジャイル内製化──チームに熱量を宿す、再現性のあるプロセス

東京ガスは、会員サービス「myTOKYOGAS」の開発を、これまでのグループ会社への委託から、アジャイルによる内製開発へと切り替えました

しかし、長年システム開発を任せてきた組織においては、エンジニアを採用したからといって、すぐに開発体制が整うわけではありません。ビジネス側と開発側の間には、どうしても要望を伝える側と作る側という役割の壁が残ってしまいます。

その壁をどう解消し、同じ目線で議論できる関係を作っていったのか

東京ガスで内製化を主導した及川敬仁さん、中途入社でアジャイルを持ち込んだ中島潤耶さん、そして現場で開発に向き合った福田美桜さんに、チームの空気が変わっていくまでの軌跡を伺いました。

アジャイル開発に衝撃を受けて子会社委託から内製へ転換

── 東京ガスで内製化に取り組んでいる、リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループの位置づけについて教えてください。

及川敬仁さん
及川敬仁さん:リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループ グループマネージャー。内製化プロジェクトを主導してきた

及川:東京ガスグループは2022年度、カンパニー・事業会社が、それぞれの市場・お客さまと向き合い成長していくホールディングス型グループ体制に移行しました。エネルギーやサービスの販売等のソリューション提供をミッションとしているのが、カスタマー&ビジネスソリューションカンパニーです。

その中にあるリビング戦略部は、BtoC領域における戦略策定、データ分析やマーケティング、ビジネス変革などを担当しており、さらに私たちが所属するデジタルプロダクト推進グループが、内製開発の拡大および「myTOKYOGAS」の運営を行っています。

── myTOKYOGASはどんなサービスなのでしょうか。

及川:きっかけは、2016年の電力小売全面自由化(※消費者が電力・ガス会社や料金メニューを自由に選択できるようになった制度改革)です。

当社も電気の販売を開始するに当たって、Web上で、ガス料金・ガスの使用量に加え、電気料金や電気使用量も確認できる「myTOKYOGAS」をリニューアルしました。当初はあくまでWeb検針票としての位置づけが大きかったです。

しかし、2024年11月に紙の検針票の投函を停止したことで、その役割は格段に高まっています。現在では、単なる電気・ガスの使用量や料金の確認ツールではなく、お客さまと東京ガスをつなぐデジタル接点として、会社にとって最も重要なサービスの一つになっています。

── myTOKYOGASは2016年の立ち上げ当初、どのような体制で開発されていたのでしょうか。

及川当初は、当社の子会社である「東京ガスiネット(以下、iネット)」が開発していました。同社は東京ガスグループの基幹システムをメインに担っている情報システム子会社です。

── そこから内製化の必要性を感じたきっかけは何だったのでしょうか。

及川:iネットは基幹システムをメインに担っており、お客さまとの接点となるフロント部分を得意としているわけではありませんでした。

例えば、myTOKYOGASはお客さまの要望に応じてすばやく作り変えていく必要がありますが、それは昔ながらの基幹システムの開発を前提とする進め方では難しい面があったのです。

その後、2021年に大手コンサル会社との協業プロジェクトでアジャイル開発を体験し、私は大きな衝撃を受けました。Figmaでプロトタイプをサッと作り、ユーザーに見せて反応を確かめ、すぐに修正していく──。そんな開発手法は経験したことがありませんでした。

また、デザイナー数名と議論しながらプロダクト開発を進めていった経験も印象的で、今でも鮮明に覚えています。みんなが同じ方向を向いて、良いものを作ろうという姿勢で、スピード感を持って仕事をする。すばらしい進め方だと感じました。

そうした体制を本格的に築くため、エンジニアを採用して内製化に踏み切ったのです。

中途入社のエンジニアだけに頼ると内製化は失敗する

── 中島さんが東京ガスに入社した際、myTOKYOGASの開発現場はどのような状況でしたか。

中島潤耶さん
中島潤耶さん:リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループ。東京ガスの最初のエンジニア。IT業界で10年以上のキャリアを持ち、複数の企業で内製化プロジェクトに携わる

中島:当時は、まさにその転換点となる「検針票の電子化」という巨大プロジェクトが進行していました。

開発体制としては、フロント部分は私たちによる内製、バックエンドは従来のiネットにお任せするという形でしたが、リリース期限は決まっているのに、そこに向けて必要な機能は何か、それを実現するためにどれくらいの開発工数がかかるのか、そして現在どの程度の開発速度で進められているのかが可視化されておらず、このままでリリース期限に間に合うのかどうか分からないという状況でした。

過去の経験から、内製化してアジャイル開発をするなら、まずはそこを整理しないといけないということは分かっていたので、最優先で取り組むことにしました。

── 具体的にはどのような整理をしたのでしょう?

中島:まず、ビジネス側に「これだけは絶対に必要」という要件を整理してもらい、それぞれの規模感を見積もった上で、MVP(Minimum Viable Product)の開発を進めました。

同時に開発速度を計測し、リリース期限に間に合うのかを可視化しました。そこから「このままでは間に合わない」と判断した場合は、機能を削減してもらう、開発体制を強化するなどの対応を取りました。

ただ、私の経験上ですが「中途入社のエンジニアだけに頼ると内製化はうまくいかない」のです。

というのも、中途採用のエンジニアは技術的な話はできますが、事業の中身やプロダクトが備えている機能、社内では誰がキーパーソンなのかといったドメイン知識は入社時点では持っていないからです。エンジニアを採用したら、魔法のようにアジャイル開発ができるわけではありません。

そこで当時は、そうしたドメインに詳しい社内の方々にもチームに加わってもらって、エンジニアリングと事業側のバランスの取れた開発体制を作ることを意識しました。

── エンジニアと事業側の分断が、内製でのアジャイル開発が失敗する要因なのですね。

中島:はい。多くの企業で内製化を経験してきましたが、失敗の多くがこのパターンでした。ですから、まずは「エンジニアと事業が融合した開発体制」をしっかりと固めることが重要だと思っています。

外部からのエンジニアの熱を受け止めて、現場の社員が変わった

── プロパー(生え抜き社員)の福田さんは、中島さんのように外部から来たエンジニアが新しい考え方を持ち込んだことについて、どのように感じましたか。

福田美桜さん
福田美桜さん:リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループ。東京ガスに新卒で入社後、iネットに4年間出向。その後、東京ガスに戻り、現在は「myTOKYOGAS」のWeb領域のプロダクトオーナーを務める

福田:新しいやり方に対して、特に反発したということはないんです。ただ、当時の中島はよく怒っているように見えて(笑)。

中島:いやいや、怒鳴ったりはしてないですよ(笑)。ただ、Slackで「このバグ、誰の担当ですか? なぜ放置してるんですか?」みたいなことは書いていましたね。

福田:ありましたね。他にもミーティングで中島から指摘を受けたとき、「自分たちに何が足りていないのか」が純粋に分からなくて、戸惑った記憶があります。

その一方で、入社して間もない中島が熱い思いを持って進めてくれているのに、プロパーの社員がそれに応えられないのはどうなのか。「せっかく来てくれたのに、私たちの振る舞いにがっかりして、また別の会社に転職してしまうかもしれない」。「このままではまずい」という危機感があり、私自身は「まずはとにかく打席に立つ」ことを心がけました。

── 具体的に、ご自身の行動が変わるきっかけなどはあったのでしょうか。

福田:今でも覚えているのは、何人も集まって会議をしたときのことです。中島が話してくれたことに対して、事業側のメンバーは誰も意見を言わずシーンとしてしまって。その空気に我慢できず、「いったんやります」と手を挙げたことが、自分の意識が変わる大きなきっかけでした。

そこからは、分からないことは分からないと正直に言って、時間を取って中島に丁寧に教えてもらう。その積み重ねが自分の経験値になっていったと感じています。

── プロジェクトを通じて、ご自身の中で変わったなと思う部分はありますか。

福田:内製化するまでは、正直言ってiネットの皆さんに頼り切りだったところがありました。

例えば、要件定義にしても、私たちは受け身で質問に答えるだけで、要件定義書を作ってくれるのはiネットのメンバーだったんです。

しかし、中島に教わりながらエンジニアリングについて学んだことで、現在では受動的ではなく積極的に要件定義に関われるようになりました。

── 福田さんが変わったと感じた瞬間はありましたか。

中島:明確にありました。事業に取り組む人が、システムはビジネスと一体であり、事業と切り離せないものだと認識し、自分たちで考えていくものなのだという意識に変わると、システムのことも知ろうという雰囲気が生まれてきます

あるとき、福田が「AWS Lambda」のような専門用語について「それって何ですか?」と聞いてきたことがありました。そこから、踏み込んでシステムの動きや構成についても質問してくるようになり、さらに、「これを実現したいのだが、どうすればよいか」とシステム面も含めて具体的な相談を持ちかけてくるようにもなりました。

福田:必死に考えたんですけど、どうしても分からなくて聞きに行ったんです。

中島:その「必死に考えたけど分からないから教えて」と食らいついてくる姿勢です。自分たちのビジネスがシステムでどう実現されているのかを理解しようとする。これは当事者意識の芽生えだと私は思っています。この状態になったら、もう何を任せても大丈夫です。

手書きメモ
福田さんがホワイトボードに書いたシステムに関するメモ

── そうした当事者意識を持ってもらうために、中島さんが普段から意識して伝えていたことはありますか。

中島「自分たちが作っているものにどういう意味があるのか」「世の中にどんな影響があるのか」ということを常にかみ砕いて考えてもらうことです。そうすることで、「自分たちのやっていることって、会社にとっても社会にとっても良いことなんだ」という意識が生まれ、自然と熱量が上がっていくと思っています。

例えば、「穴を掘ってください」と言われて、何も考えず掘るのと、「穴を掘ると筋トレにもなるし、もっと重いものも持てるようになって、良い仕事ができるようになる」と思いながら掘るのとでは、同じ作業でもぜんぜん意味が違ってきますよね。

「なぜやるのか」と問われて取り組む意味を答えられない状態では、その仕事に熱を持つのは難しいと考えています。

── こうしたチームの変化は、及川さんも感じていたのでしょうか。

及川:そうですね。外から来た中島らの存在がきっかけになり、異質な文化を持ち込む「エイリアン」が起点となり、それを受け入れた内部の社員が「ミュータント」として覚醒する。そんな現象が起きていたと思います。

その変化の要因となったのが、現場のメンバーが、中島の指摘を一つひとつしっかり受け止めていたこと。当社社員の良いところは、「新しい考え方をまず受け止める」ことができるという点なんです。だからこそ、対立構造が生まれるといった事態にならなかったのだと思います。

現場の空気が変わるまでのプロセスには、再現性がある

── ハイブリッドな開発体制で成し遂げたmyTOKYOGASの「検針票の電子化」プロジェクトですが、社内からの評価はいかがでしたか。

及川:予算規模もかなり大きなプロジェクトでしたが、期限内にリリースできたことで、会社からも「よくやった」と評価してもらいました。

この成功があったからこそ、今ではmyTOKYOGASだけでなく、他のプロダクトにも内製開発を広げていこうという流れが生まれてきていると感じています。

── 今後の技術的・組織的な課題について教えてください。

中島:myTOKYOGASは内製化に成功しましたが、今後、会社としてさらにデジタル化やDXを進めていく流れになると、単一のアジャイルチームだけでは対応し切れなくなってくると思います。

myTOKYOGASも機能開発の要望を多く受けていますし、他のチームとの連携も必要です。どのように横展開していけばいいのかという点がまさに課題となっています。

及川:会社として期待値が大きくなっていく中で、スピード感を持ってどう応えていくのかは悩ましい問題です。鍵を握るのはやはり人材で、ビジネスと開発、双方の視点を持つメンバーを育成していかなければなりません。後進の育成が、アジャイルチームの組織拡大の鍵になると考えています。

── 後進を育成するためには何が重要になるでしょうか。

福田ビジネス側として大切なのは、内製開発に対する期待値をどう正しく持つかということです。もともと当社は、「開発については専門家にお任せすべき」という意識が根付いてしまっていて、そこを変えるのは簡単ではありませんでした。

それを本人任せで「気付いて変わる」のを待つのではなく、会社としての期待を伝えた上で、実際の現場に入ってもらうことが大事になるのではないかと思います。組織が「打席に立つ後押し」をしっかりとするのが重要だと思います。

── 多くの企業がエンジニアを採用すれば内製化できると誤解しがちです。ビジネス側とエンジニアがワンチームになるために、最も重要なことは何でしょうか。

及川:繰り返しになりますが、エンジニアを雇えばそれでいいわけではありません。ビジネス側が勉強し、歩み寄っていく姿勢が必要です。

福田:そうですね。歩み寄る姿勢があるだけで、エンジニアとの共通言語が生まれますから。

及川:私自身もエンジニア出身ではありませんが、会社の研修でプログラミングの勉強をしたりしています。

中島:あれは率直にすごいなと思っています。

及川:もちろんコードを書くためではなく、エンジニアの気持ちや言語を少しでも理解したいからなんです。そうやってビジネス側から歩み寄ることが、チーム作りの第一歩だと思います。

中島:単にDXや内製化のためにエンジニアを採用するだけでは意味がありません。重要なのは、その手前にある、ビジネス側とエンジニアが本気で混ざり合うための熱量です。

どれほど優秀なエンジニアを集めても、「このプロダクトで社会にどのようなインパクトを与えたいのか」というミッションやビジョンがなければ、チームは機能しません。

「何のためにやるのか」という共通の目的と熱量があれば、エンジニアもビジネス側も、ゴール達成のために自然と互いの領域を理解しようとします。この状態を実現できていることこそが、本質的なDXであり、それが内製化やアジャイルな組織の成功へとつながっていくのだと考えています。

だからこそ、まずはこの熱を組織に伝播させ、エンジニアとビジネスが混ざり合う状態をつくること。それこそがリーダーの役割だと考えています。

福田:システム開発を自分ごと化して痛感するのは、「すごく難しくて複雑な仕事だ」ということです。その難易度の高い課題に対して、ビジネス側の意見だけ、あるいはエンジニアの意見だけで正解を出すのは不可能です。

だからこそ、いろいろな角度から意見を吸収し合うことが大切なんです。お互いの違いを受け止め、自分自身も変わっていく。それが結果として、会社の競争力や強みになっていくのだと思っています。

東京ガス

組織の壁をどう越えたか。大企業のアジャイル変革

取材・構成・撮影:山田井 ユウキ
編集・制作:はてな編集部

及川敬仁
及川敬仁
東京ガス株式会社 カスタマー&ビジネスソリューションカンパニー リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループ グループマネージャー。2015年から電力・ガス自由化対応部署に異動し、2017年からmyTOKYOGASを担当。その後、新規事業部門を経て、2021年に再び同部署に戻り、内製化プロジェクトを主導している。
中島潤耶
中島潤耶
東京ガス株式会社 カスタマー&ビジネスソリューションカンパニー リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループ ソフトウェアエンジニアリングチーム チームリーダー。IT業界で10年以上のキャリアを持ち、複数の大企業で内製化プロジェクトに携わってきた。東京ガスでは自身にとって4社目となる内製化の取り組みを担当し、アジャイル開発の導入と定着に尽力している。
福田美桜
福田美桜
東京ガス株式会社 カスタマー&ビジネスソリューションカンパニー リビング戦略部 デジタルプロダクト推進グループ myTOKYOGASプロダクトオーナー。東京ガスに新卒で入社後、グループ会社の東京ガスiネットに4年間出向。その後、東京ガスに戻る。内製化プロジェクトにおいて、従来の外部委託型から自社主導型への転換を現場で実践している。